もみじ饅頭の歴史
明治後期に宿屋「岩惣」の女将は、紅葉の名所としてお土産にふさわしいお菓子を考案し、出入りの菓子屋 高津米助氏に以来しました。
 その後、商標登録も切れ高津氏の後継者も居なかった為、宮島島内の菓子屋がその製法を受け継ぎました。
 「当時、伊藤博文は宮島に足繁く通われており、茶店の子の手を取り『紅葉のような可愛い手、焼いて食べたら美味しかろう』と戯れられたのを、側で聞いていた女将が考案した。」というような逸話も生まれました。
 太平洋戦争中、材料不足により一時中断したもみじ饅頭製造も、戦後少しずつ製造会社も増え、昭和後期には漫才のネタになるなどの影響で、宮島以外の地域でも製造されるようになりました。
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